数年前に、偶然ある本を目にして、ピンときだ。打てば響くように納得したのである。知っている人は知っていると思うが、すべての生物は遺伝子の単なる乗りものなのだという例のやつだ。我々人類も例外ではなく、目に見えないその遺伝子なるものにあやつられているのだという。自覚はないけれど、遺伝子が主人で、肉体休はあくまでも遺伝子の奴隷、あるいは単なる自動車のような乗りものなのだと。つまり我々人類の行動は、遺伝子のコピーを将来にわたって連綿と作り続けるその手伝いをさせられているだけなのだ、というのである。
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僕は仕事から離れて頭がお留守になったおり、画期的であるというこの説について、カウチに寝そべってむぐむぐと思いを馳せた。で、あらゆるアングルから見た結果、この説は的を射ている、と飛び起きたのである。僕が、飯を食うのも遺伝子の繁栄のため、いや食うというより食わされているらしいし、いい恰好をして女性にもてようとするのも、浮気をするのも、いや浮気をさせられているのもみな自分の遺伝子を、多々残そうとする遺伝子様のご意向の現れなのである。さらに姑が嫁をいびるのも、姑の遺伝子を受け継いだ我が息子を独占して、他にせっせと遺伝子をばらまくのを阻止する、憎くき嫁に対する当然の本能なのだということになっている。してみると、「家」というのは、なにを隠そう、子づくり、子育てという遺伝子の繁殖のためには、たいへん重要な役割を果たしている器であり、僕の仕事はこの本能に支えられた、最も原始的、言い換えるとピカイチ安定した職業なのだと、ほっと胸をなでおろしたものである。