全国不動産総合ブログ

資料に示された借家文化

2011.10.14

わが国の借家文化の存在は、史料にもはっきりと示されている。一九四一(昭和一六)年に厚生省が行なった「昭和十六年大都市住宅調査」である。これによれば、当時の大都市に建てられていた専用住宅は借家が七八・二パーセントを占めていたことがわかるし、もっと古いデータである一九二二(大正一一)年に東京府社会課が行なった「東京市及接続町村中等階級住宅調査」によれば、借家が九三・三パーセントで、これから東京周辺の中産階級の住まいのうち九割が借家であったことがわかる。さらに言えば、こうした借家文化の中で一九二一(大正一〇)年の住宅組合法の公布に象徴される持ち家政策が開始され、徐々にではあるが持ち家の割合が増えていくことになる。それでも、データが示すように戦前は約八割が借家で、まだまだ借家が一般的だったのである。ちなみに、戦後のデータによれば、一九六八(昭和四三)年以降、持ち家が約六〇パーセントを占めており、借家と持ち家の割合は完全に逆転しているのである。かつての借家文化について、川添登は、気のあった友人同士や同郷の人々が近隣に集まって住み、また、気に入らなければサッサと別のところに引越しすることができた。その結果、戦前はよくあったといわれる近所づきあいという親密なコミュニティが成立していたと述べている(『環境へのまなざし』ドメス出版、二〇〇四年)。現在、嘆きのように失われてしまったといわれ続けてきた濃密なコミュニティは、実は借家文化の恩恵として生まれていたものでもあり、そうした借家ゆえの文化が成立していたのである。

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